「町の林業のこれまでとこれから」「学生目線から見る下川町」「産業の担い手不足」そんな視点を持ち、大学生5人で2泊3日の滞在をしてきました。
最終日にみんなを見送ったあと、町に残った私。それは、もうひとつの目的を果たすためでした。
子や孫への贈りもの
下川町にはわたしの祖父母が住んでいます。祖父は、家庭菜園というには大きすぎるほどの畑を持ち、私たち孫は送られてくる野菜のおかげで大きく育ってきました。
畑で野菜を育てるだけではなく、子や孫のために山を購入した祖父。わたしが小学生の頃には、山に看板を立てに行きました。
あれから十数年。コロナ禍もあり、わたしは山に足を踏み入れていませんでした。一緒にお酒を飲むこともできるようになったわたしと祖父。山に連れていってもらいました。
・・・
早朝。祖父母の家から車を走らせること10分。山の入り口にやってきました。ザクザクと真っ白な雪を踏みしめながら、奥へと歩いていきます。
冬は、雪で覆われて歩きやすく、熊もまだおとなしい。えっさえっさと祖父の背中を追いかけていきます。
歩いていくと、わたしが小学生の頃に立てた看板が。色とりどりに塗ったはずの看板は、すっかり色あせていました。
看板の横を通り抜け、現れたのは整然と立ち並ぶ木々。わたしの背丈くらいでしょうか。真っ直ぐと列になるのは、カラマツとトドマツ。間を縫い歩きながら祖父はひとつひとつ説明してくれました。
「あと数年で、間伐しなきゃなんない。木を太らせるためにね」
「なんでここに道があるかわかるかい?間伐しなくていいように、あとは機械が入れるようにさ」
さらに奥へと歩き、木々の間を抜けると、道が現れました。
「この道は、夏になったら笹が生い茂る。じいじが手入れできなくなったらこの道は通れなくなるかもしれん」と祖父は言いました。
人間が山に入るには、道が必要です。日々の生活では当たり前のようにある道。誰かが道をつくり、その道も、守っていかねばならないことに気づきました。
守りたい、これからの山
祖父母の家では、祖父が山の資料を見せてくれました。山を買うのにいくらかかって、いつどこに何をどれくらい植えて、そのあとにどんな手入れをして。びっちりと、細かく、年表で整理されていました。
「カラマツは50年、トドマツは80年。お前がおばあちゃんになったころに立派に成長するんだよ」
「これからこの森がどうなるのか、そういう夢があるんだ」
資料を一緒に見る祖父は目を細めて嬉しそう。
「でも、じいじが全部面倒を見ることはできない。森林組合の人たちにお願いしているんだ」「森林組合の人がいなくなったら、森は荒れ放題になるかもしれない」
悲しげにいう祖父の姿を見て、今回のツアーのことを思い出しました。森林組合を見学したときにも耳にした「担い手不足」。それがなぜ問題なのか、やっと初めて理解できたような気がします。
祖父が楽しみにしている森の未来。担い手不足は、誰かの夢を支えたり、叶えたり、応援したり、そういう人がいなくなってしまうことなのかもしれません。
そして、「試しに、一画だけ売ってみたんだ」と、明細書を見せてくれました。おが粉、チップ、円柱……それぞれどれくらいの量になり、いくらだったか、が細かく。
ツアーで見た、伐採、加工、発電、それらが一気にストンと綺麗に整理されたような気がしました。
この町が続いていくために
今までは、祖父母がいる町としてしか見ていなかった下川町。ですが、2泊3日のツアーを経て、さらにそこから山を歩くことで下川町への新しい見方を得ることができました。
自然と隣り合う下川町での日々の暮らしは、きっとめいっぱい深呼吸が出来る。町の林業の歴史と循環型産業は、町を支えている。移住者も増え、新しい種もたくさん撒かれている。
でも、自然を守る人が少なくなってきている。産業の担い手がなかなか埋まらない。
守りたいものも、つくりたいものも、たくさんあるこの町で、わたしにできることは何かあるだろうか。”知る”ということができた今回の滞在。そして、”伝える”ということが、この連載を通してできていたら嬉しいです。
そして、この連載を読んでくださって下川町が少しでも気になっていたら、ぜひこちらへアクセスしてみてください。
文:谷郁果
3月15日-17日に開催された、しもかわ森林文化ミュージアム・くらしごとツアー。札幌圏の大学生5人が、林業や移住者、まちづくりや暮らしと仕事などそれぞれの視点で下川町に滞在しました。忘れられない景色や言葉、人に出会い、そして林業をはじめとする下川町の現状を知ったわたしたち。大学生5人のうちの一人でもあり、町内に祖父母が暮らす、北海道大学教育学部3年のわたし、谷郁果が、5回にわたりツアーの記録を連載しました。